こんな世の中で死にたくない

20歳になった拓朗です。
これで親にビールを買ってあげられます。やった

寝る前で意識が朦朧としていますが...


今日学校帰りに1人でオックスフォードの街を歩いていて、ふと言葉に表せないとても苦しい気持ちになりました。その場で立ちすくみました。なぜなら自分の将来ではなく、世界の将来を想像してしまったからです。


なぜ、またわけのわからんことを言っているのか。頭打ってません。


最近、日本で何が起きているか分からないので、なるべく無知にはならないように日本の安保法案のことやら、日韓関係、戦争、宗教観について暇だったのでぼーっといろいろ考えてました。
このせいでいろいろモヤモヤしてしまう毎日です。


将来の日本、世界、子どものために現状が最適な道の上なのかつい考えてしまいます。


イギリスの街中では毎日のようにホームレスを見なくてはなりません。どんないいことが起きても悲しいことが起きても、彼らを通学路で絶対見るんです。お金をせがまれますが、あげません。本心はお金や食料をあげて普通に暮らせるようにしてあげたい。でも僕には不可能です。平等にという観点から見ると、1人にあげたら全員にあげなくてはなりません。僕の場合1人、2人を支援することに罪悪感を感じてしまいます。(個人の意見です)


人は誰でも平和や幸せを願って生きています。それが生きる理由でもありますよね。死ぬのは誰でも分かってるのに必死に生きる。何かのためにです。


希望、夢、愛

いろいろあります。


もしその答えが曖昧なら動物を観察するといいかもしれません。彼らがなんのために生きてるか考えるんです。
なぜ彼らは自殺しないのか。すごくそのままの表現で申し訳ないですが、自分の犬が教えてくれました。
これについてはまた今度書きます。


ホームレスによっては犬が寄り添っています。今日も苦しそうなホームレスにペットと思われる犬がしっかり身体を寄せていました。

なぜか考えてください。
なぜ犬にそのような能力があるのかなど


ところで、日本人にとってのあたりまえの生活、社会は海外ではほぼ違います。
そのショックは大きいです。日本から見て可能なことが世界では不可能になるのは普通です。


口で言う平和や自分の周りが幸せだからといって、自分ではなく世界(地球)の将来から目を離すのは、誰かによって満たされてるからです。その誰かとは周りで守ってくれる人です。僕は守る人がいないほど豊かで争いがない時代が人間が滅ぶ前に来て欲しいと願ってます。
口だけでなく行動できるよう頑張りたい!

誤解しないで欲しいです。幸せということは、誰かが必死に守って自然や動物に生かしてもらってることです。誰か、何かがしてくれることが幸せだと思います。だから逆もしなくてはなりませんね。

その代わり貧困や戦争といった苦しい状況は理解することはできないと思います。体験できませんよね。だから「人の身に立つ」ということはとても困難です。イメージはできると思いますが、ただのイメージですから。でも変えることは可能です。イメージじゃなくて体験する努力をするんです。戦争や貧困をなくす努力という体験です。方法なども様々でしょう。


僕はアジアに大きな誇りを持っていて日本人でほんと良かったと思います。誰でも自国が最高って言いますけどね笑 でも今はほんとに日中韓の子ども達が将来笑いながら肩を組んでる姿を見たくてたまりません。

貧困、戦争、歴史問題、差別

こういったものが存在するのがとても腹立たしく感じた今日の学校からの帰り道でした笑


いろいろ説明不足で申し訳ないですが、僕が言いたいのは、


人は誰でも平和や幸せを願いますが、死ぬときにその状況で満足して死ねるかということです。自分のことしか考えないのが普通です。ぼくもです。でも今のような状況、またはこれ以上にひどい世界を見ながら死ぬのは絶対いやです。せめて希望を見ながら死にたい。死ぬときに、何百年後の世界がいい方向に変わっているように努力した自分を振り返れるようにこれから生きたい。


20歳がもう死ぬことを考えてる自体頭おかしいですけどね笑


でも今日、人類が誕生してから世界はなんでこうなったんやろうと思ったし、みんな口では平和や幸せを言えるけど実際なんで言えるか自体不思議だとも思いました。

難しくなっちゃって申し訳ないです。
おやすみなさい